激動の昭和史 沖縄決戦
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Aug,14 1971 ในโรงภาพยนตร์
沖縄海洋博
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Sep,18 1976 ในโรงภาพยนตร์
沖縄狂想曲
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Feb,03 ในโรงภาพยนตร์
沖縄久高島のイザイホー
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Jul,30 2022 ในโรงภาพยนตร์
沖縄 うりずんの雨
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Jun,20 2015 ในโรงภาพยนตร์
ハワイ・マレー沖海戦
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Dec,08 1942 ในโรงภาพยนตร์
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沖縄スパイ戦史 Comments (17)
指揮したのはすべて陸軍中野学校の卒業生で、スパイ教育を行った。
彼らは各島に配属され、村民たちを操った。
アメリカ軍に殺され、日本軍に殺され、沖縄人同士で殺し合うなど、想像を絶する事態となった。
沖縄の人たちの本土に対する思いが切ない。
これは全てを不幸にしますね。
相互に監視させて、
相互に不審を生じさせて、
みんなスパイに見えるようにする。
「信頼」というものが
大切なものだと改めて思い直した。
会社にもまた、軍のような論理がある。
みんな嫌々でも、イジメに参加したり、
人をやめるように追いやったり、
陰口を叩いたり、批判したり。
一般論として。
生産的な批判なら良いと思うけど、
大抵は、“まとも”な批判は寧ろ煙たがられ。
社内政治的な目的、誰かの出世のための、
ハメるための批判の方が重宝がられる?
そんなバイアスのなかで、
思い出したくない記憶、
そんな過去に手を染めてしまう。
空気。
忖度。
恐れ、妄想。
どれもこれも、不幸しか生まない。
何を守るのか?何のために?
国体、軍隊、勝利?今なら、会社のため?
住民のためでなく、国民のためでなく。
その論理も無視できない。
そしてそれは、走り出したら止まらない、
暴走列車なようなものか?
全体主義?
「全体」は「部分の集合」であるはずなのに。
「部分の幸せ」の積み上げになっていない。
「不幸な部分」の総和の先に何がある?
何のための「全体」?
「使い捨て」の「部分」の先に、
理想の「全体」なんてものはある?
いや、「全体」はフィクションで、
ホントは「権力者」のため?
本来なら、権力は、個々の者が持つものを
誰かに委譲し(投票のように)
結果として、権力者がそれを授かり、
正しく運用することで、全体が幸せになる。
そんなシナリオじゃなかったか?
(会社なら、株式に似てる?)
なかには善意に基づいた罪づくりも。
隊長らの戦後の苦しみがそれを物語ってる。
でも、“現に誰も幸せになってない”
そんな実態に気づいたなら、
軌道修正が必要だ。
僕も、今日から。
思えばバカばっかやり過ぎたなぁ。(独り言)