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幻の光 Comments (14)
結婚して子供が生まれて三か月後に夫が自殺してしまう。
原因は思い至らなかった。
数年後、輪島に後妻として子連れで再婚する。
残された人はどうしたらいいのか、わからない。
次々と愛する人を亡くしてしまったゆみ子(江角)が子連れで向かう奥能登。輪島の小さな村に住む民雄と再婚するのだ。
ゆみ子の息子・勇一と民雄(内藤)の娘・友子が仲良く輪島の自然を駆け巡る。ロケハンの天才!地元の者であっても、こんなに美しい風景は見たことがない。その後、淡々とした家族の映像が続くが、大阪に出て地元には戻ってこないと思っていた民雄の侘しさや、失意の中にあっても民雄を愛していこうと努力するゆみ子の姿が妙にリアル。
半年後、弟の結婚式のために尼崎へ里帰りしたゆみ子は再び前夫郁夫(浅野)を思い出す。輪島に戻ってからも悲しみが増大してくるのだ。折りしも漁師仲間の1人が戻ってこなかったことも相まって、自分の周りの人間がどうして死んでいくのか悲観的になったりする。
「夫郁夫の自殺の原因は何だったんだ」と悩む姿はちょっと危険な雰囲気。能登の寂しい海が不思議と美しい。「光に誘われたりするもんだ」という慰めの言葉はどれだけ効果のあるものかわからないが、ほんのちょっとした一瞬にも死に誘われることがあるのだろう。この作品を観て前向きに生きていこうと考えが変わるとも思えないが、優しく見守ってくれる人さえいれば何とかなるのかな
主人公のゆみ子は、釈然としない死に対する印象を記憶に抱えることになります。
この作品は、彼女の曖昧模糊とした死生観を踏まえた世界認識や心情を描写すべく、何気なく映る光景に対してまで、非常に繊細な意図を持たせていると感じられました。
私が特に感銘を受けたのは、表情やセリフといった明快な説明は廃し、むしろ現実の風景と人物との画面上の関係性から、人物の心情を浮き上がらせるような演出です。
表情やセリフで語る感情表現は分かりやすいですが、明瞭な表現は時として、記号化・言語化できない繊細な情報を覆い隠してしまうものでしょう。
現実の風景は、つまりゆみ子の内面と連続した環境でもあるのです。周囲の環境を見つめることで、彼女の繊細な感情の在りかを探るような演出がされています。
しかしそのため、村や町や家の中に対して、どこからどう見るのか、とても鋭い視点の観察がされていると察せられました。水平垂直、明暗の利用、場合によってはやや構成的なまでに画面を整理し、画面全体をもって意味のある一枚絵としているかのようです。
その結果、一見何気ない無意味に思える要素、ストーブの灯り、家の角の陰、それから、鈴や自転車ベルといった音など、場面ごとに一見些細な様々なものが力を得ています。
途中、平穏な生活の描写は、ゆみ子の日々の時間感覚を体験する事ができますが、そんな続いて行く日常の流れの中で、不意に死が訪れかねないという認識を度々思い起こさせられ、不安とも不可解ともつかない特異な感覚をもたらしていると思われました。
人は生きる意味を探求することが生涯のテーマである、などと言う人がいます。しかし私はこれに若干の疑問を感じます。
「生きる意味」の「意味」というのは、言語化できる意味に過ぎないのではないでしょうか。
哲学的な問題に対し、何か簡潔な言葉で言い表そうというする態度を見ると、私はその人の感性を疑ってしまうことがあります。
言語化できない、しかし強烈な意味というものは確かに存在し、それは安易な言葉で捉えようとすると、忽ちこぼれ落ちてしまう。
ゆみ子に共感するかは別としても、彼女の環境世界を想像することで、何か貴重な体験を得られた気がしています。
能登の海岸沿いの一軒家と海沿いの街の風景が続く。全夫はなぜ死を選んだのか?ふと理由を知りたくなる。
ストーリーよりは映像の美しさで構成される展開。広角の構図を多用し、そこに映る人々も風景の中に溶け込んでいて、そこに包まれているような雰囲気。
ピントがぼやけたような映像が幻想のような雰囲気を与える。映画に必ずしも明快なストーリーも結論も必要ではなく、それよりも映像美で成り立つことを示唆してくれる映画。